覗き修行の終えてからは、山道を歩きながら篭り岩不動尊などの要所で勤行をする。何度目かは忘れたが、だんだんとお経の読み方、真言の唱え方にも慣れてきた。我々は、幅1mほどの稜線だけが残る”蟻の戸渡り”といわれる箇所を1列になって行進を続け、天狗の相撲場に到着したのだった。
天狗の相撲場とは、8畳程度の広さのある平らな岩で周囲は断崖絶壁。ここで天狗が相撲を取るのだという。観光ではないといいつつも、この天狗の相撲というのを体験させてもらった。やり方は、2本束ねた金剛杖の両端を互いに持ち合う。これを、お互い同時に引っ張り合い、次に押し合うというものだ。もちろん負けた方は、谷底へサヨウナラとなるわけ。
昼ごろには、室町時代まではあったという寺院城郭、霊山城跡に到着。勤行を行い、しばし昼食休憩となった。ここまでの行程が登りで、午後からの行程は下りになるらしい。厳しい山道を想定して体力を温存してきたのだが、”下り”という言葉を聞いてタバコを吸う余裕も生まれた。
午後からは、まず日枝神社を目指す。山王権現を祭る日枝神社は霊山寺の守護社とのことだったのだが、社には落書きが目立つ。こんなところまで来て落書きというのも、ご苦労なことだと思う。山伏の説明によれば、日枝神社は天台宗寺院の守護という役割があったらしく、日枝神社のあるところ、周辺には必ず天台宗の寺院があるとのことだった。
ここを過ぎてから、最後の難所(登り道)が待ち受けているという。すべて下りではなかったのか? 難所はおおよそ100m弱ほどの山道の階段で、さほどキツイとも思えぬのだが、参加者のほとんどを占める高齢者にはキツイのかもしれない。
「さーんげ、さんげ(懺悔懺悔)」と山伏が掛け声を出せば、我々が「六根清浄」と応える掛け念仏を唱えながら登る。もちろんボクも唱えた。山々に響き渡るというほどではなかったが、声を出しながら登り道を歩いていると、不思議なことにラク。それでも、ちょっと汗がにじむ。
何箇所か岩の裂け目の間を通り、クサリを伝って下りを繰り返すと雨滝不動尊だ。どんな日照のときでも水滴があることから雨滝というのだそうだが、ここ2〜3年はさすがに水が枯れているらしい。
15時前後に湧水の里キャンプ場へ到着。我々はマイクロバスに乗り換えて霊山神社へと向かったのだった。
先頭は先達の山伏、次に我々一般参加者、その後に山伏の位の低い順から1列縦隊に並ぶ山伏隊列を組んで霊山神社境内へと行進する。神社に響く法螺貝の音というのは、ちょっと不思議な感覚。それ以上に、神社の神殿前で勤行するという行為は、もっと不思議な感覚にとらわれたのだった。
霊山山中での修行は、これで終了。我々一行は愛敬院へと帰山する。山へ入る前、我々は一旦死んだのだ。山中での修行で体についている塵は落とした。だから、最後には産声を上げる再生の修行が待っているのだった。*1